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Channel: PSゲーマーのゲーム日誌
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ゲームの『表現規制』に対して意見を述べてみる。

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突然ですが、今回はゲームの表現に対する規制に対しての私の考えを話したいと思います。



日本ではCEROというレーティング機構の規定に沿ってゲームの対象年齢が決められます。
北米はESRB、欧州ではPEGIなどがそれに該当し、同じく対象年齢が設けられています。
CEROでは全年齢対象のA、12歳以上対象のB、15歳以上対象のC、17歳以上対象のD、そして18歳以上対象のZの5つのレーティングが存在しています。
しかし、A~Dの4つはあくまで「触れるにはその年齢以上が望ましい表現が含まれている」という程度であり、D指定タイトルは17歳以下でも購入しプレイする事が可能です。
対してZ指定タイトルは「18歳以上のみを対象とする」としっかり明記されており、販売店等が18歳以下の子供に該当タイトルを販売する事は禁じられています。
にも関わらず、日本ではCERO Zタイトルですら性的・暴力的表現に対して過剰な規制が掛かります。
CEROはあくまでラインを定めているだけであり、規制内容はパブリッシャーの自主規制である事は承知しています。

ですが、少々物怖じし過ぎているのではないでしょうか?

18歳以上のみ対象という枠組みである以上、フィクションと現実を分けて考える事の出来る精神的に成熟してきた人間を対象としている事は確かな筈です。
でなければわざわざ18歳以下は遊べない様に制限する意味はありませんから。
それなのに厳しい表現規制をする意味はあるのか?甚だ疑問でなりません。
海外産のタイトルはゴア表現に力を入れている場合が多く、それが過酷な世界観を表す助けになっている事もあります。
名作と名高い『The Last of Us』は人間・感染者問わず四肢頭部が欠損しますが、日本では頭部の欠損が削除されていました。
オリジナルの表現では敵の頭を掴んで壁に叩き付けた際、頭部が潰れて主人公ジョエルの手が壁に付くという表現であるのに対し、日本版では単に頭が潰れないという規制になっている為、頭を貫通してジョエルの手が壁に当たります。
敵に掴まれたジョエルを仕事仲間のビルが助けるシーンでは、マチェットで感染者の首を切り落とすのですが、日本版では明らかに首全体を刃が通っているにも関わらず首を落ちずに敵が倒れるだけでした。
ハンターの集団にエリーが掴まった後のシーンに至っては、オリジナルでは人肉を捌いているのがハッキリと映し出されるのに対し、日本版では捌いている肉のモデルも別のものに差し替えられている上にカメラアングルまで変更されている始末。
幾つかのポストアプカリプス作品に触れた事のある人であれば日本版の表現でも人肉を捌いている事が理解出来たかもしれませんが、そうでない人には何故エリーが驚いたのかが理解出来ないという混乱を招いてしまいました。
その後PS4で発売された『The Order:1886』ではセクシャル表現以外は無規制で発売されたので、規制緩和の流れが始まったかと喜びましたが、更にその後発売された『Until Dawn』はゴア表現のあるシーンで画面全てが暗転するという最低最悪の規制が施されていました。
それによりそのシーンで一切何が行われているのか判断出来ず、キャラクターがどの様な状況に置かれているのかすら分からない状態でした。

作品が本来伝えたかったものを捻じ曲げてまで規制する必要はあるのでしょうか?

こういった表現は映画となると何故か許されてしまいます。
私が今年観た中で最も面白かった映画『デッドプール』は15歳以上対象の作品でした。
銃弾で頭を吹き飛ばすシーンをスローで見せたり、股間丸出しで戦ったり、乳首ガン見せのストリッパーが普通に映っていたりしているにも関わらず15歳以上対象程度なのです。
映画のみではありません。漫画や小説などでもゲーム以上に過激な表現が使われようがお構いなしです。
少年誌であるジャンプの作品『ToLOVEる』はどれだけ間接的に過激な表現が出来るかを挑戦し続けてすらいます。
小説において過激な表現が用いられてもそれは文学として通じてしまう場合もあります。

何故ゲームだけ規制が激しいのか?

欧米におけるゲームは今や映画と並ぶ総合芸術として扱う動きもあり、ハリウッド映画に携わっていた人材が多数流入してきています。
例として、私の愛する『アンチャーテッド』の最新作では『シビルウォー:キャプテンアメリカ』などで楽曲を手掛けたヘンリー・ジャックマン氏が音楽を担当しています。
それに対して日本ではいつまで経っても「暇潰し」「子供の遊ぶもの」「悪影響を生む」などと時代錯誤な印象が付いて回っている始末。
なにかと問題があればゲームに関連付けて報道される事が多々あります。
先日放送された「ワイドナショー」でPSVRを松本人志が体験するコーナーがありましたが、そこでもPSVR Worlds収録タイトル『ロンドンハイスト』における銃撃シーンでなにかしらの悪影響があるのではないかという論調に傾く場面がありました。
勿論親が子供に触れさせたくない類のゲームもあるでしょうが、その為に年齢制限が設けられているのではないのか?と言いたい。

そういった認識を変化させていかなければならないのではないでしょうか?

昨今のゲームはストーリー性に重きを置き、経験を積んできた大人だからこそ楽しめる作品も多くなってきています。
そういった作品を例にもっと「大人も楽しめるエンターテインメント」としてゲームへの認識を改める動きを進めていくべきです。
そして、そういった作品において過度な規制はリアリティを欠如させるだけの存在です。
何十人、何百人というクリエイターが1つの作品に向かって長年全精力を注ぎ込み、築き上げてきた世界観、表現を安易に捻じ曲げて良い訳が無い。
如何に優れた作品でも先程例に出した『The Last of Us』の様に細かな規制が積み重なれば、違和感を生み出し興が削がれてしまいます。

そろそろ考えを改め直してほしいのです。
ゲームは映画や漫画と同じく、娯楽文化でありながら芸術にも為り得るものであると。
それにはゲーム会社が総出でゲームの地位向上に努めるべきだと思います。
年齢制限の無い映画や漫画で使われている表現を年齢制限のあるゲームで使えない状況をおかしいと言うべきなのです。
そうする事で高年層にも昨今のゲームの中には単純なものだけでなく、ストーリー性を重視し映画的な演出を多用した「触れられる映画」的作品も多いと認知される筈です。
少しずつでも働きかけていく事で、これまで偏見を持っていた人達の認識を変化させ、より多くの層にゲームに触れてもらえる可能性を生み出せる筈です。
ゲームの表現力が向上し、そのリアルさが悪影響を生むと言われている昨今ですが、むしろ表現力が上がったからこそ生み出せたゲームの魅力もあるという事を伝えていくべきなのです。

世界初の家庭用ゲーム機が発売されてから40年以上が経ちました。
確かに映画や漫画と比べればまだまだゲームの歴史は浅いです。
しかし、だからといって現状を維持していたら何も変わりません。
表現の自由をゲームにも求めていくべきだと私は思います。
18歳以上のみを対象とした作品を売るのであれば、プレイする人間が納得出来る表現を使うべきです。
ゲーム会社の皆さんにはもっとゲームという文化を大事にして頂きたい。
日本でもゲームの認識に変化が起こる事を願っています。


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